結婚運がよかったので5人も妾がいた? 一歩先の日本を見ていた異端の幕臣・勝海舟
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第12回
歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)、また歴史上の人物同士の相性を読み解く。
来年は、大河ドラマ「西郷(せご)どん」で注目を集めるだろう、重要人物の一人、勝海舟を鑑定する。
勝 海舟:(1823-1899)
生年月日:文政6年1月30日(グレゴリオ暦:1823年3月12日)
それでは、上の命式表を見ながら鑑定していく。
○日柱の干支(かんし):「庚子」(かのえね)
これは「冬」の「刀」を表す。「刀」は硬く、簡単には折れないように、芯が強く頑固な性格であったのだろう。それも、季節は冬である。冷たく研ぎ澄まされ、さらに強固で鋭い刀がイメージされる。自分でこう!正しい!と思うことに突き進む、強い信念を持っていたことが予想される。同様に「庚子」を持つ有名人として、宮藤官九郎や原辰徳がいる。
続いて、通変星、蔵干通変星、十二運星を見て性格について見ていく。
○主星「正財(せいざい)」:
最も真面目な星。誠実で家庭的、コツコツ努力するタイプ。人脈、お金に恵まれる星であり、人に対する気遣いは抜群。信頼関係を築くのが得意。結婚の星でもある。海舟はこの星を2つ持っており、これらの性質が強まっていると考えられる。
海舟の職業は、幕臣。江戸幕府のお役人である。真面目な海舟にはぴったりな職業である。幕府と異なる意見を持ちながらも、幕府に忠臣を尽くし幕府の最期を見届けたのは、誠実な性格であったからだろう。
また、幼少期から島田虎之助のもとで剣術を習い、直心影流免許皆伝となった。また、蘭学を志して永井青崖の下で地理学、兵学を研究、蘭学塾も開いている。一度始めたことは、どこまでも突き詰める、まさにコツコツ努力人間であったのだろう。
一方で海舟は、屋敷に来ていた若い女中等、妾5名の間に子を設けている。妾は、正妻・民子と同居していたが、波風が立つことはなかったという。それもこれも結婚運がありよい奥さんとお妾さんに恵まれたお蔭とも言える。また、奥さんを、そしてお妾さんをも大切にする、家庭的な人間だったとも取れるかもしれない。
また、「正官(せいかん)」も真面目な星。プライドが高く、責任感が強い。几帳面で真面目な星でもある。2つの「正財」と合いまって、とにかく真面目な人物だったことは間違いない。プライドが高く責任感が強かったからこそ、幕府のために奔走できたのだろう。
○自星「傷官(しょうかん)」:
感情の起伏が激しく傷つきやすい面があるが、交渉能力が高く頭のいい星。芸術に長けている星でもある。
海舟の交渉能力の高さは、現代に轟いている。最もよく知られるのは、江戸城無血開城。西郷隆盛率いる新政府軍が江戸城攻撃を望む中、海舟は幕府代表として、隆盛と交渉に臨んだ。隆盛が海舟に突き付けた、江戸城攻撃を中止するための条件は、時の将軍、徳川慶喜の身柄を差し出すよう促す等、非常に厳しいものであった。しかし、会談の場で、海舟は江戸城攻撃中止を実現したばかりか、慶喜の身柄を差し出さないこと等の対案を出し譲歩を引き出すことに成功している。海舟は「傷官」を2つ持っており、この性質が強まっていることが予想される。相当な交渉上手だったのだろう。
また、晩年、海舟は熱心に書画を収集していたという。「傷官」は感情の起伏が激しくナイーブな性格であるが、芸術作品に囲まれると落ち着く傾向がある。芸術性の高い書画に触れることが海舟にとって癒しの時間だったのだろう。
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